
今日からちょうど29年前、桜の花が三部咲きの頃、私の娘が生まれた。
その頃暮らしていた所は、小学校の横の坂道を上り詰めた、自然の豊かな場所にあった。
予定日を2週過ぎても、一向に生まれる気配がない。
少しの不安を抱え、小学校の校庭の、今にも弾けそうな桜の蕾を見ながら、
大きなお腹を抱えて坂を上り、家路に付く若い私の姿が甦る。
早朝、破水があった。
掛かり付けの医院に行った、院長が「初産は時間が掛るので、家に戻って待機しといて下さい」と
言ったが、助産婦がすかさず「先生、それは不安ですよ!入院させましょう」と言って下さったので
私は安心して入院することができた。
入院して1週間過ぎても生まれる気配は無く、陣痛促進剤や、その当時の色んな手段を試みたが、
まだ生まれる気配は無く・・・
「よっぽど私のお腹の中の居心地がいいのだろう」 私はトホホだった。。。
そして院長からついに 「3月31日のお昼に帝王切開の手術をしよう」 と告げられた。

手術当日、九大からの麻酔科の医師が20分遅れて到着、
当初の時間を30分送れで手術が始まった。
「麻酔をするので痛くありませんよ」と院長から聞いていたが、メスを入れた瞬間が判る!痛い!
(今考えると、私の体重に対して麻酔の量が足りなかったのか、はたまた私の体質が麻酔に強かったのか・・・?アルコールには確かに強い)
激痛の中、ただただ私の赤ちゃんに会いたくて、頑張った。
「男の子やね」 と院長がつぶやいた 「やった〜やっぱり男の子なんだ」
そしたら直ぐ 「あ!女の子やね」 と言い直した。
つい立の白い布から我が子が見える様に顔を傾けると、黒い髪のふさふさした赤ちゃんが逆さ吊に
取り上げられていた 「私のあかちゃんだ!」
パチパチと叩かれ、初めは弱々しいしい声で 「あ〜ん」 と泣いたが、すぐ「オンギァ〜オギャ〜」と
力強く泣き出た 「やっぱり私の子やね、元気がよろしい」
昭和54年3月31日午後1時25分、体重3300g 身長51cm
当時でも大柄な女の子が生まれた。
そしてこの女の子の名前を、
漢字で最初に始まる字の 「阿」、三月に生まれたので、弥生の一字をとって 「弥」
“阿弥” と、今は亡き私の父が命名してくれた。
私の娘 「阿弥」 の人生が、この日から始まった。